お客様体験記

天使になった私の宝物 〜息子からのメッセージ〜

天国の翔太へ。ママたちは大丈夫だよ。あなたが教えてくれた愛と優しさを、今度は私たちが多くの人に伝えていきます。あなたは永遠に、私たちの誇りであり、最愛の息子です。

 最愛の息子、翔太との日々

息子の靴が玄関に並んでいます。小さな運動靴。まだ紐の結び方を練習している最中でした。一年経っても、この靴を片付けることができません。触れるたびに、彼の小さな手が一生懸命紐と格闘していた姿が蘇ってきて、涙が止まらなくなります。

翔太は、私たち夫婦の最愛の息子でした。5歳とは思えないほど物事をよく考え、優しい心を持った子でした。幼稚園では友だちが転んだときに一番に駆け寄って「大丈夫?」と声をかけ、家では妹の世話を一生懸命してくれました。絵を描くのが大好きで、毎日のように「ママ、見て!」と嬉しそうに作品を見せてくれました。

突然の別れ

あの日は、いつもと変わらない朝でした。「行ってきます!」という元気な声と共に、翔太は幼稚園のバスに乗り込みました。それが、息子との最後の会話になるとは、誰が想像できたでしょうか。

突然の交通事故。「重大な事故が発生しました」という電話を受けた時、私の世界は止まりました。病院に駆けつけた時には、もう手遅れでした。まるで眠っているかのような翔太の頬は、まだ温かかった。「ママ、痛かったよね。怖かったよね。ごめんね、ママが守ってあげられなくて…」抱きしめる腕の中で、翔太の体は徐々に冷たくなっていきました。

深い悲しみの日々

それからの日々は、まるで濃い霧の中を歩いているようでした。朝になれば「おはよう!」と飛び込んでくる息子の姿を探してしまう。お気に入りのアンパンマンのお椀に味噌汁を注ごうとして、はっとする。妹が「お兄ちゃんは?」と聞くたびに、胸が千切れそうになる。眠れない夜は数えきれません。

毎日が苦しみとの闘いでした。夫も同じように苦しんでいることは分かっていました。でも、お互いを慰める言葉さえ見つけられない日々が続きました。ただ、黙って手を握り合うことしかできませんでした。

翔太からのメッセージ

変化が訪れたのは、翔太の机の引き出しを整理していた時でした。そこには、たくさんの絵が大切にしまってありました。家族の絵、動物園で見た動物たち、大好きだったヒーローたち。そして一番下には、「だいすきなかぞく」と書かれた一枚の絵。4人で手をつないで笑っている絵でした。

その時、翔太からのメッセージを受け取ったような気がしました。「ママ、パパ、妹のことを、僕はずっと見守っているよ」と。涙が溢れ出ましたが、それは今までとは少し違う涙でした。

これからの私たち

少しずつですが、前を向こうとする勇気が湧いてきました。妹のために、夫のために、そして何より翔太が願っていたであろう幸せな家族であるために。翔太の絵をリビングに飾り、家族で毎日「おはよう」「おやすみ」の挨拶をするようになりました。

今では、翔太との思い出を、痛みだけでなく、感謝とともに振り返られるようになってきました。5年という短い時間でしたが、翔太は私たちに純粋な愛と喜びをたくさん与えてくれました。その優しさと笑顔は、永遠に私たちの心の中で生き続けています。

最近、妹が「お兄ちゃんの絵、私も描きたい」と言い出しました。翔太の遺した画用紙とクレヨンを使って、一緒に絵を描く時間を持つようになりました。空には大きな星が輝いていて、「あれがお兄ちゃんだよ」と妹は信じています。

子どもを失うという深い悲しみは、おそらく生涯消えることはないでしょう。でも、その悲しみと共に生きていく力が、少しずつ芽生えてきました。翔太が残してくれた愛と思い出を胸に、これからも家族で支え合いながら、一歩一歩前に進んでいきたいと思います。

 

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