子どもを亡くすという深い悲しみは、言葉で表すことはできません。
この記事は、事故で5歳の息子を失った母親が、「もし違う判断をしていたら」という並行世界に生きながら、現実と向き合っていくまでの道のりを綴っています。
死別の痛み、自分を責める罪悪感、そして消えない後悔の中で、どのようにして生きる力を取り戻したのか。
多くの人が抱える「もし」という想いと、そこから前に進むための心の旅は、同じような経験をした方々への希望のメッセージでもあります。
悲しみの中にいる方、大切な人を失った方に、この物語が少しでも光を届けることができれば幸いです。
一瞬で変わった世界
私が最愛の息子、健太を失ったのは、彼が5歳になったばかりの春のことでした。
あの日、私は「あと5分だけ」という彼の遊び時間の延長リクエストを断り、急いで幼稚園へ向かったのです。
交差点で信号を待っていた時、健太は私の手をスッと離れ、落としたおもちゃを拾おうと道路に飛び出しました。
それからの数秒間の出来事は、10年経った今でも、夢の中で何度も繰り返されます。
「もう少し強く手を握っていれば」
「あのおもちゃを家に置いていれば」
死別の瞬間から始まった無限の「もし」の連鎖。
それは私の人生を二つの世界に分けました。
一つは、健太のいない現実の世界。
もう一つは、彼が生きている想像上の並行世界です。
並行世界への逃避
罪悪感は常に私のそばにありました。
なぜ私は彼の命を守れなかったのか。
自分を責め続ける日々の中で、私は並行世界の物語を紡ぎ始めました。
もし健太が生きていたら、今頃は小学校に通っているだろう。
もし健太が生きていたら、彼の笑顔が家を明るくしているだろう。
この「もし」の世界は、初めは慰めでした。
しかし次第に、この想像上の世界が私を現実から引き離していくことに気づきました。
夫は黙って耐え、私の悲しみを理解しようとしてくれましたが、私たちの間の溝は日に日に深くなっていきました。
並行世界の罠
健太が亡くなって3年目、私は完全に二つの世界を行き来するようになっていました。
現実では仕事と家事をこなし、表面上は「回復」しているように見えたかもしれません。
しかし心の中では、並行世界の健太と過ごす時間が増えていました。
彼の8歳の誕生日には、実際にケーキを買い、ろうそくを灯しました。
夫はそっと部屋を出て行きました。
彼も苦しんでいたのに、私は自分の痛みにだけ囚われていたのです。
後悔の念は時間と共に形を変えていきました。
最初は「あの日の判断」に対する後悔でしたが、次第に「立ち直れない自分」への後悔に変わっていきました。
それでも、並行世界を手放す勇気は持てませんでした。
転機 – カウンセリングとの出会い
友人の勧めで、私は子どもを亡くした親のサポートグループに参加しました。
そこで出会った人々は、私と同じ道を歩んでいました。
彼らも「もし」の並行世界を持っていました。
ある母親の言葉が私の心に突き刺さりました。
「私たちは二つの世界を生きています。
でも、現実の世界でも幸せを感じることは、亡くなった子への裏切りではないのです。」
現実と向き合うための一歩
カウンセラーは私に「手紙」を書くことを勧めました。健太へではなく、事故の日の自分自身へ宛てた手紙です。
親愛なる過去の私へ
あなたは最善を尽くしていました。
完璧な親などいません。
健太を失ったことは、あなたの責任ではありません。
本当の健太は、あの5年間、精一杯生きました。
彼の人生は短くとも、愛に満ちていました。
彼を忘れることなく、それでも前に進むことは可能です。
彼の名前を胸に、現実世界で精一杯生きることこそ、親としてできる最後の愛です。
優しさを持って、自分自身を許してください。
この手紙を書きながら、初めて涙が止まらなくなりました。
それまで私は、悲しみの中でさえ、どこか感情を凍結させていたのです。
二つの世界の統合へ
健太がいなくなって5年目に、私たちは養子縁組を考え始めました。
最初はまた罪悪感を感じました。
健太の代わりになる子を求めているのではないか、と。
しかし、私たちは新しい家族を迎える決断をしました。
小さな女の子、美咲が私たちの家にやってきたとき、私は初めて並行世界と現実世界が少しずつ近づいていくのを感じました。
美咲に健太の話をすることで、彼は私たちの記憶の中で生き続けることができました。
彼女は「お兄ちゃん」のことを知り、時には彼に話しかけることさえあります。
今、そしてこれから
健太がいなくなって10年。
彼は今、15歳になっているはずでした。
並行世界の彼の姿は、今でも時々私の心に浮かびます。
しかし、それは以前のように現実からの逃避ではなくなりました。
むしろ、彼への愛と記憶を保つ方法となりました。
死別の痛みは消えません。
後悔の念も、完全には消えないでしょう。
罪悪感との戦いも、時に再燃します。
しかし今は、これらの感情に支配されることなく、共存することを学びました。
美咲は今、健太と同じ年齢になりました。
彼女が交差点で私の手をしっかり握るとき、私はかすかな痛みを感じます。
しかし同時に、この瞬間に生きることの大切さも実感しています。
二つの世界は、いつしか一つになっていました。
健太への愛と、現在の幸せ。
過去への敬意と、未来への希望。
それらは対立するものではなく、私という一人の人間の中で共存しているのです。
心の旅を共にする人たちへ
子どもとの死別を経験した親御さんへ。
あなたの感情は全て正当なものです。
罪悪感も後悔も、愛が深いが故なのかもしれません。
いつか並行世界と現実世界が交わる時が来ることを信じてください。
それは決して亡くなった子を忘れることではなく、その子の記憶を抱きながら、新しい日々を生きる勇気を見つけることなのです。
私の健太は、私の心の中で永遠に5歳のままです。そして、それでいいのだと思えるようになりました。
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この記事を書いた人
⚫︎中村はな⚫︎
メモリアルアドバイザー兼ライター
大切な方との思い出を形に残すお手伝いを専門とし、これまで1,000件以上のメモリアルグッズのコーディネートを手がけてきました。
ご遺族の心に寄り添った記事執筆を心がけ、メモリアルに関する執筆実績は500件以上。
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