お客様体験記手元供養について

手元供養を通して見つけた安らぎの時間

大切な人を失った後の喪失感や後悔の念は、誰もが持つ感情です。

関わりが深ければ深いほど、その悲しみはとても言葉では表せません。

本記事では、母を失った女性が抱えた後悔と深い悲しみを、手元供養という選択により少しずつ乗り越えていく様子を描いています。

最初、手元供養に対して抵抗があった女性は、徐々にその癒しの力を感じ、抱えていた後悔の気持ちが少しずつ和らいでいきます。

グリーフケアとは、大切な人を失った深い悲しみを抱える遺族に寄り添い、回復をサポートすることです。

この女性が手元供養を通じて、グリーフケアとしての癒しを見つけ、大切な人との繋がりを再確認する過程を感じていただけたらと思います。

供養の方法には、埋葬、納骨、手元供養、散骨など、たくさんの選択肢があります。

どの供養方法も、見送る人と見送られる人の愛情と永遠の絆を感じることができます。

自分に合った方法を選択することで、これからも大切な人に感謝を伝え続けることができます。

この物語を読んでくださったあなたの心が少しでも癒されますように。

母の死と深い悲しみ

 

母が私の人生から突然いなくなったとき、私はまるで世界が崩れ落ちるような感覚に襲われた。

母が病に倒れてから、時間はあっという間に過ぎていった。

最初はただの風邪かと思ったが、診断が下されるとすぐにそれは深刻な病であることがわかった。

進行が早かったその病に、母はあっという間に侵されていった。

それでも私は母の病をまだどこか他人事のように感じていた。

母は病気一つしない元気な人だったから、きっと回復するだろうと信じていた。

しかし、病が深刻になるにつれて、次第にその信じていた希望が崩れ去っていった。

母が入院し、手術を受け、少し元気を取り戻してはまた悪化する──その繰り返しで、私は無力感に苛まれた。

そして、母を見送る日が来てしまった。

時間が、私の中で止まってしまったような気がした。

「ごめんね」と心の中で何度も言いながら、私はただひたすら涙を流していた。

母の葬儀を終え、家に戻ってきたとき、家の中の空気が違うことを感じた。

今まで当たり前に感じていた日常が、いきなり崩れ去ったような感覚だった。

母の優しい笑顔、温かな手、何気ない会話──全てが突然、消えてしまった。

そして、私はその喪失感と向き合うことになった。

悲しみと後悔に沈んでいく中で、私は母との時間がいかに大切であったかを改めて痛感した。

日常の忙しさにかまけて、母に十分に感謝してこなかったことを悔いた。

母と過ごした時間が無駄ではなかったことを証明したいと思ったけれど、それでも母を亡くした事実は私の心に重くのしかかっていた。

「もっと感謝すればよかった」

「もっと優しくしていればよかった」

「もっと早く病院に連れて行けばよかった」

これらの思いが心に渦巻いて、何度も何度も自分を責めた。

それでも、悲しみを感じることさえ許されないような気がして、何も手につかない日々が続いた。

手元供養との出会い

そんな私に、ある日友人が手元供養を勧めてくれた。

その友人は、母を失った私に何かできることはないかと気遣ってくれていた。

「手元供養? それって遺骨を家に置くってこと?」

最初はその意味すらよく理解できなかった。

私にはそれがどんな意味を持つのか全く想像がつかなかった。

遺骨は墓に納めるものだと思っていたから、手元に置くなんて考えたこともなかった。

しかし、友人の言葉がなぜかとても心に残った。

「お墓に行かなくても、家の中で大切な人を感じることができるんじゃないかな?

無理にお墓に行かなくても、心の中で繋がっていられるかもしれないよ。」

私はすぐには決断できなかったが、少しずつ考えるようになった。

そして、ネットで調べ、手元供養のミニ骨壷と遺骨ペンダントを購入してみることにした。

部屋の一角に供養スペースを設けてミニ骨壷と母の写真を置いた。

遺骨ペンダントには母の遺骨の一部を納め、家にいるときは骨壷の隣に置き、出かけるときは身に着けることにした。

しかし、次第にそのペンダントを手にすることが、私の心の落ち着きへと変わっていった。

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母との繋がりを感じる瞬間

手元供養を続けるうちに、次第に私は母に語りかけるようになった。

「お母さん、今日はどうだった?私はね…」

そんなありふれた会話が、母が生きていた頃のようで、不思議と心が安らぐ瞬間が増えていった。

ある日、遺骨ペンダントを手にしているとき、ふと母との思い出が次々と蘇った。

幼い頃、母が私を包んでくれた手の温もり、病気で寝込んでいたときに、そばで見守ってくれた優しい眼差し──その一つ一つが、手元供養を通じて私の心にしっかりと根を張っていった。

「私は、愛されていたんだ。」

その気持ちがふと心に湧いてきた。

その瞬間、涙が溢れ出した。

後悔の気持ちが少しずつ溶け、代わりに感謝の気持ちが私の心を温かく包んだ。

母の死を受け入れることができなかった私にとって、手元供養は母との繋がりを感じるための手段となり、深い癒しをもたらしてくれた。

手元供養がもたらした癒し

手元供養は私にとって、単なる供養の方法にとどまらず、母との絆を感じるための重要な手段となった。

写真に手を合わせ、遺骨ペンダントを手に取りながら、私は母との時間を取り戻していった。

毎日少しずつ、母を感じる時間が増えていき、その度に私の心は少しずつ癒されていった。

私たちは、もう会うことができない。

触れ合うことも、笑い合うこともできない。

けれども、心の中で繋がり続けることはできる。

それが、手元供養が私に与えてくれた大きな贈り物だった。

そして、手元供養を続けるうちに、私は少しずつ「ありがとう」という気持ちを母に伝えられるようになった。

悲しみは確かに深く、消えることはない。

でもその中で、愛された記憶とともに歩んでいける自分がそこにいた。

もし、あなたが今、深い悲しみに打ちひしがれているなら、手元供養という方法を試してみてほしい。

大切な人を身近に感じることで、少しずつ心が癒されていくかもしれない。

→手元供養とは?その意義と選ばれる理由

この記事を書いた人

⚫︎中村はな⚫︎
メモリアルアドバイザー兼ライター

大切な方との思い出を形に残すお手伝いを専門とし、これまで1,000件以上のメモリアルグッズのコーディネートを手がけてきました。

ご遺族の心に寄り添った記事執筆を心がけ、メモリアルに関する執筆実績は500件以上。

グリーフケアを専門としているため、お客様の心情に配慮しながら丁寧な説明と提案が可能です。

大切な方との思い出を末永く心に刻むお手伝いをさせていただきます。